戦艦大和について
大和(計画名A140F5)は1937年11月4日、広島県呉市の呉海軍工廠の造船ドック〔造船船渠〕で起工された。その乾ドックは大和建造の為に拡張されて、長さが314m、幅45m、深さ11mとなった。アメリカやイギリスに本型を超越する戦艦を作らせぬ為に建造は秘密裏に進められ、当初は海軍の中でも一部に知らされているだけだったと言われている。
機密保持のため造船所を見下ろせる所には板塀が設けられ、ドックには艦の長さがわからないよう半分に屋根、周囲には干した和棕櫚(わじゅろ。干した物は主に「ほうき」に使われる。ちなみに、そのドックの近所の全ての民家から干した和棕櫚の葉が無くなり、大騒ぎになったという逸話が残っている)がかけられた。建造に携わる者には厳しい身上調査が行われた上、自分の担当以外の部署についての情報は少ししか知ることができないようになっていた。造船所自体が厳しい機密保持のために軍の管制下におかれ、歩哨が要所を警戒していた。建造ドッグを見下ろす山でも憲兵が警備にあたっていた。
そして1940年8月8日進水、「天皇陛下進水式御臨席」の噂もあったが、結局は海軍大臣代理により、それまで仮称「一号艦」と呼ばれていたこの巨艦はあえて臨席している面々に聞こえないように小声で「大和」と命名された(なお軍艦の艦名に関しては海軍省の提出した二つの候補から天皇が選定した一つをその艦に命名するのが慣例である)。もっとも、進水といっても、武蔵の様に陸の船台から文字通り進水させるのではなく、大和の場合は注水済みの造船ドックから曳船によって引き出す形で行われた。しかも機密保持からその進水式は公表されることもなく、世界一の戦艦の進水式としては非常に寂しいものに思われたという。1941年12月7日公試終了、同年12月16日就役。
また、大和には当時の最新技術が多数使用されていた。球状艦首(バルバス・バウ)による速度の増加、煙突などにおける蜂の巣状の装甲などである。その他、観測用の望遠鏡や測距儀も非常に巨大なものが採用され、進水時には世界最大、最精鋭の艦型同盟国のドイツ海軍の最新の戦艦にも及ばなかった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦です。